続・ホーリーインコ

今日はあいにくの雨ですが、私は雨は嫌いではありません。世界がほんの少し静かになるような気がするからです。雲によって景色が少し篭るような姿になるので、そう思うのかもしれません。

先日のホーリーインコのお話は、私の創作です。
ギリシャ神話にあのような話はありません。
私は多分やや神話オタクのようなところがあるので、つい創作してしまいました。
創作しながら考えました。

本当にインコは被害者なのか?

私の創作の世界ではインコは被害者のような立場になっていますが、人間のために輸入されてきて東京で野生化したインコは、多分ラッキーな類に入るのではないかと思いました。

ここ30年ほどで野生化し繁殖したということは、自然界においては結構異例です。
これは、食物連鎖的に「天敵がいなかったから」できたことだと考えられます。
ということは、彼らにしてみたら安住の地を見つけた!というような感覚で、ラッキー!だった。

これと似た例はシンガポールのカワウソが当てはまります。

私は、BBCの「ワイルド〇〇(アマゾンとかアラビアとか)」シリーズなどの世界のいろいろな生態系を切り取ったドキュメンタリーが好きでよく見ます。
シンガポールの都市に住むカワウソは、一般的なカワウソより3倍も大きな体格をしているそうです。
アマゾンに住むカワウソにはジャガーやカイマン(ワニ)といった、いつ襲ってくるかわからない天敵と常に共に暮らしています。でも、都会のカワウソにはそういった天敵があまりいない上に、生きていくのに必要な食糧や住処も豊富なのだそうです。

東京のインコも同じことだと思うのです。

他にも、ドバイの砂漠にある円形農場では、常に畑に機械で放水されているため、渡鳥たちがわざわざ進路を変えてそこに立ち寄り羽休めと水浴びをするようになったそうです。

私は、人間が自然界に対して与えられる影響力は、実はそんなにないと思います。
生命というものは人工的なものよりよっぽど優秀で、逞しいからです。この地球上では人間が住むことのできる場所の方が限られています。
そして人間の作った環境は、自然界に住む動物たちに上手に利用されている部分もあったりします。
そのくらい、彼らは生に貪欲であり、忠実です。

人間が介入することで壊される生態系は確かにありますし、絶滅する種もあります。
ですが、それは人間が介入してもしなくても、どこかで起こることだと私は思います。
世界はそうやってバランスしている。

神話は人間が作っているために、どうしても人間の域を超えないものだなぁと、改めて思ったのでした。

中医学の基盤となる思想の陰陽五行説は、古代人が自然のありようをつぶさに観察した結果出来上がったものです。なぜなら自然界は人間より遥かに早く存在し、環境に適応しながら地球の生態系を作り上げていたからです。

人間の世界だけをみていてはいつの間にかだいぶ視界が狭くなります。
そんなことを考えた先週末でした。